ふるさと内尾の忘備録
 
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   ↑ 内尾もちょっと昔はちびっ子がいっぱい居たんですよ

まず初めに内尾のこと

 内尾は、白山ろくの旧河内村、直海谷の一番奥にある在所。今も美しい自然が残るのどかな山村です。
かつては在所から数キロ離れたもっと奥山に内尾の元村が存在したと言われ
その地には古屋敷という地名が残り、縄文土器も出土しています。
いつしか住民は現在の集落に移り住み、そこからが今の在所の始まりだと
郷土史には記されています。
 内尾は昭和30年代頃までは木炭の一大産地でした。
当時最も多かった時の人口は、543人、72戸。
40年代までこの小さな集落に独立した小中学校、農協、売店、火葬場などの施設がありました。小学校は現在の清流がある辺り、農協はリフト乗り場の辺り、火葬場は喜兵衛のとなりの駐車場辺りにあったのです。
セイモアスキー場が出来るずっと前のことです。
炭焼きが斜陽産業となった後には、人口は減少し続け
平成24年現在の人口は・・実際に生活している人を数えると30人足らずと変動激しく、(それも温泉とスキー場があっての職業に就いている人が過半数です)
この先の人口増加や若年化はまず考えられず
絶対数も少ない中で限界集落への道をたどる一方です。
そんなのは日本全国ありふれた話。
それでも私達は、内尾の人間であることに誇りを持ちつづけて暮らしていきたいと思っています。
きっと皆さんの持っておられる郷土愛と同じです。
しかし、そんな内尾のかつての文化や伝承など、昔のことを語る人がだんだんこの世から居なくなり、古きを知ることは困難になってきました。
私はここに来て18年経ち
この仕事をして、たくさんの方と出会うことにより、
訪れた人の心のふるさとの管理人の一人で有りたいと思うようになりました。
せめて、私の知る範囲内で昔から語り継がれてきた伝承や
現代の内尾の少し浮世離れした些細な体験談など少しずつ
忘備録として、拙くも綴っていきたいと思います。